優秀病棟 素通り科

自分の死生観を再認識するような舞台だった。

それと同時に自分の中で気がつかないうちに硬くなってたり絡まってた部分が解された感覚になりました。

 

 

まずはどうしても語らずにはいられない死生観について。

普段からの自分の考えと優秀病棟を観た後の自分とで何か変わったかと言われると特に変わってはないです。

 

ただ、生きようとする人と生きることに執着がない人って理解し合えないんじゃないかなって思ってたけど(理解する必要があるなしは無視して)、理解せずとも「そういう考え方もあるんだな」って自分の中で受け止められるかどうかでその後は変わりそうと思った。だから飯塚さんのあのラストになったのかなーと。

 

二つの側面から考えたことを書いていこうと思うんだけど、書きながら感想でもあり普段の自分の考えでもあるし飯塚さんがどうだったのかっていう考察もあるので頭の中がぐちゃぐちゃです。

 

 

 

■執着がない側

・産まれた理由がないから

自分の意思でこの世に産まれたわけじゃないから執着がなくてもおかしくないのかなと思う。

それと同時に産まれた理由がないから死ぬ理由もなくていいんじゃないの?って思う。


人間って無い物ねだりだから産まれたては死に興味があって年を重ねると生きる方に傾くっていう話を聞いたことがあるんだけど、その切り替わりのタイミングは人によって違うと思ってる。

その違いを受け入れるのか受け入れないのかで今回の飯塚さんの行動を止めるのか止めないのかになるのかな。


・今が幸せの絶頂で手放すのが怖い

私も同じこと考えた。

勿論今が順調だと今後の不安も大きくなるだろうし、禍福は糾える縄のごとしって言葉があるくらいに良いことと悪いことは交互に来るって経験を誰しも一回は経験してるんじゃないかな?

 

ただ今後より良くなるかもしれないし、今と違った形とか自分では考えられないような「良い状態」になるかもしれない。

反対に飯塚さんが一回考えたように悪い状態になる可能性もある。

 

これまで見積りを出し続けてきた飯塚さんだからメリット/デメリットとか良く転んだらどれだけ得で悪く転んだら損なのかとか考える癖が無自覚のうちに染み着いてたと思うんだけど、見積りを出すプロの飯塚さんが頭を悩ませて保留にしちゃうくらいだから私の頭では追い付きません。

 

 

・産まれた時点での設定が合ってない

デフォが違うから歪みがどんどん大きくなって自分から終わらせちゃうという考え。

花屋さんが日本のゴミゴミが合わずにボゴタに行ったように飯塚さんは逃れようとしたのかな?

 

喜久枝さんの娘さんの「親は選べない」発言のようにデフォルトの自分の境遇は選べないから、どうしてもそこに合わせられずにリタイア。

私は小さいときは自分の境遇を疎ましく思うこともあったけれど、大人になった今は気に入っているタイプ。時間が過ぎて分かることがでてきて受け入れられることもあるし、逆に理想とのギャップが大きくなりすぎて抱えられなくなる人も勿論いるんだろうなと思う。



・先が分からないから死にたくなる

事故とか病気にならなければ先が長い人生。

分からないことに対して怖いと感じる飯塚さんは終わらせたくなったのかな?

生きていることが謎の意味のない行動だと私的には感じる

 

 

・周りに期待してない

周りの人とか会社とか、っていうか社会に対して期待とか信頼をしてないから。

(何が起きてかは分からないけど)最終的には自分とこの世は切り離せるっていう感覚。

ある程度悲しむ人は居るかもしれないけれど、それでも世界は回るし。絶望的に悲しむのは家族だけじゃないのかなっていう。

飯塚さんが家族に対してどう思ってたのか分からないけれど。

 

飯塚さんの家族って奥さんしか描かれてなかったけれど、血縁者との関係はどうだったんだろう?遡っても不幸はなかったから良好だったとは思うけれど。そこにどれだけ信頼をおいていたんだろう?

 


この考えがあるから「周りの人の人生に自分がいるからが死を選ばない」が死なない理由になるということが自分には腑に落ちなかった。

それに対して価値を見いだせないと難しいのかな。その為には自分の価値観を見直さなきゃで、そういった意味で飯塚さんは見積りをし直すために死ぬのを止めたのかな?

 

 

 

■生きようとする側

・他の人が悲しむ

さっきの意見と相反するんだけど。

悲しみの大小はあるにせよ、自分の行動によって「悲しむ人」が出てくることはやっぱり嫌。

上の考えを持ちつつ、この考えによってこの世に繋ぎ止められてる感覚。

 

 

・不信感、違和感

見積りのやり直しの話。

自分の中で軸を持っていても、その軸が正しいのかが分からなくなったら「どこからどこまでが正しいのか」が分からなくなるから一旦止まっちゃう。

自分の中で何となく「あれ?」って感覚が出てきたことを見ないふりしても最終的には向き合うしかない。

 

「今が幸せで後は落ちるだけだから」って原因に気がついたシーンの飯塚さんはこの違和感を持ってたんじゃないかなーって感じた。

 

 

 

以下は死生感以外の感想

 

・自分が納得したいから理由を探す、理由なんて自分を納得させるための後付け

 

理解できないことが起こったときって自分を納得させたくて無理矢理でも理由を探しちゃうのかなっていう。

「~なのは~だからなはず」みたいな。「~なはず」っていう考え方って怖いなって思ってるんだけど、その一例をこの舞台で見た。

 

 


・死ぬことをいつから考えたのか
飯塚さんいつから考えてたんだろう。ここ数日なのか小さい頃からなのか。

 

私はコインロッカーベイビーズが大好きなので重なる部分を感じてて、破壊でしか再生できない世界を自分の中で創り上げてたのかなって感じた。

 

あと、飛び降りって失敗したら後遺症残ったり、下手したら植物状態になって死を選ぶことすらできなくなるからあんまり良くないよ(何の話)って思ったからやっぱり直近での考えだったのかな?計画的とは思えないから。

 

 

・今の時代的にバッドエンドにしなかっただけで実は

 

時期的に暗い終わりにはしなかったって山田さんがお話ししてたと思うんだけど、アナザーストーリーというか同じ世界線の反対側(パラレルワールドみたいな)のがあったらこの世を旅立ってるんじゃないかなー

 

HEY!ポール!があのラストだったからこっちでもスッとそのラストが思い浮かぶ。


今回の話の流れで最終的に死を選んでたら本当の謎の理解不能な行動だったなっても思った。

 

 


・答えを聞かないとスッキリしない喜久枝さん

自分を納得させるためにどんどん踏み込んでいく喜久枝さんを最初は良く思えなかったんだけど、最終的にはここまでお節介だったから自分と向き合って踏み止まれてやり直せてってできたと思うので感謝。

 

旦那さんのこともお嬢さんのことも見放さないし、「一回関わったら最後まで」精神が凄いなと思った。私はバーテンさんと同じ意見なので変な厄介には関わらないように距離を保つ人間だから喜久枝さんとは正反対。

 

喜久枝さんがここまでお節介だったから私も心を解されたんだろうな。

 

 

■舞台自体について

 

・最後の力の振り絞り具合が好き。

全部出し切らないと出せない迫力で、(「出演者さんたちは毎公演やらなきゃだから本当に大変なやつだ!」って感想がボーッと心に浮かびながら)ガンガンに進んでいく展開で心臓がばくばくいう感じが心地よかった。

 

・飯塚部長のもとで働きたい

後輩を叱ってるところ最高。

私の会社は誉めて育てる会社で、それはそれで勿論ありがたいし嬉しい環境なんだけど、

きちんと納得できる言葉で諭すように叱ってくれる先輩がいるってその一つ上というか憧れというか。信頼できる。この人がいるならまだここにいても良いかなってなる。

 

パワハラ半沢もどき上司

むかつくーーー!!!!笑

自分が良い方に向くように話を遮る人いるじゃないですか!!!一番嫌い!

喜久枝さんの旦那さんは何でパワハラの証拠を取っておかなかったの?ってなった。

ただ食いぎみで半沢を始めるところめちゃめちゃ面白くて好きだった笑

 

・飯塚さんの奥さんとお母さん

世代による考え方の違いに私も悩むところがある。

私はどっちかというと父との間で悩む。孫が可愛いあまりに久しぶりに会った私の従姉に「結婚はしないのか?赤ちゃんは可愛いよ」って言ったりとか、家事は女がするものっていう考えとかK-POPアイドルをみると必ず「整形でここまでしてるんだろ」って言ったりとか。。。ここまで自分で書いといて悲しくなる。。。

余りにも酷いときはちゃんと注意するけど面倒くさいときは流しちゃうときもあって。

元々の人としては悪い人じゃないどころか良い人だし尊敬できる部分が沢山あるだけに、親の考えの中に「修正しないといけない部分がある」って気がつくのに遅くなってしまった感がある。

 

香織さんもそういうギャップに悩んでるんだなってなると同時に身の回りにも同じような人が沢山居るんだろうなって思った。

修正することって気力がいるけれど、親の言動で傷つく人が出るなんて嫌だから頑張ろうと思った。香織さんに仲間意識を持ちました。

 

 

以上です!今のところの考えは。

今後振り返ったときにごろっごろと感想が出てきそうな舞台だと思います。